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[特別企画]店主対談:徐福寿司の流儀
三代目と四代目が見据える「徐福寿司」の魂と未来
徐福寿司のこれまでを支えてきた三代目と、これからを担う四代目。日頃あえて語ることはないという二人に、徐福寿司の流儀や将来の展望、こだわりのワザを聞いた。
プロフィール
三代目|里中 陽互
1959年新宮生まれ新宮育ち、生粋の新宮人。小学6年生の卒業時には『世界に羽ばたくお寿司屋になる』と宣言。東大阪での修行を経て、1950年創業の徐福寿司を継ぐとともに駅前店をオープン。地元にも観光客に愛され、ひいきされるお店を目指して日々挑戦中!
四代目|里中 佑吉
1989年新宮生まれ。徐福寿司5人姉弟の真ん中に育ち、小さなころから食べるのが大好き!好きが高じ、高校卒業後有馬温泉で日本料理の修行を積む。2011年から家業である徐福寿司に勤め、父親と共に徐福寿司の味を守り続けている。また津本式究極の血抜きを習得し、ここ徐福寿司でしか味わえない熟成魚の仕立てに磨きをかける。
ーーさっそくですが、お二人にとっての「徐福寿司」の流儀を教えてください。
佑吉 やっぱり、お客さんの喜ぶ顔が見たい。それが一番ですね。
陽互 満腹感っていうのかなあ。基本的に徐福寿司のベースは、満腹、満足。満腹のあとの笑顔が見たいよね。
ーーこだわりのワザはなんですか?
佑吉 うーん、やっぱりさんまの仕込みですね。手間暇かかって大変ですから。
陽互 うちのすし飯は、さんまを漬け込んだ甘酢がベース。具材の干瓢とかごぼうとかも、昆布を炊き込んだ汁を干瓢に炊き込んで……という味の上乗せ上乗せという炊き方をしているんです。同じ濃い味付けをしてもしつこくならない、そういう味付けを目指してます。そこがこだわりですね。
ーー陽互さんにお聞きします。先代はどんな方でしたか?
陽互 親父は病弱だったんです。それで余命幾ばくもないというので4年修行に行っていたんですが、そのうちに蘇って(笑)。その頃に、このお店(駅前店)を始めたんです。私が帰ってきたころはいい時代でした。でも、いまの佑吉くんはそういうふうにはいかない。なにか自分の武器みたいなものが必要です。だから熟成魚というのは考えたなあ、と。新しいお店がする熟成魚と、50年やっている店がする熟成魚は、絶対に違うはずですからね。そこはチャンスやと思っています。
ーー佑吉さんから見て先代(陽互さん)はどんな人ですか?
佑吉 アグレッシブ……とにかくアグレッシブですね。やっぱり前に出ると言いますか、行動力があるなと思いますね。そこはなかなか自分が二の足を踏んでしまうところでもあるので。たとえばインスタグラムとか、外国人の方にもどんどん行きますし。(➞アグレッシブなインスタグラムはこちら)。
ーー逆に陽互さんから見た佑吉さんはどうですか?
陽互 彼は真面目ですよ、ほんまに(笑)。熟成魚をやりだしたときも、こんな手間をかけるのは僕には無理だなあって。これはね、僕だけじゃなく、ええ歳した職人さんには、この作業は無理だと思います。意味はわかっていてもできない。
佑吉 真面目かと言われたら、そんなことないですよ(笑)。熟成魚を始めたのも、熟成させたら、魚がめちゃくちゃ美味しかったので、これはお客さんにも食べてもらいたいなっていうところが始まりでした。いまでは来たら絶対に熟成鮨を注文してくださるお客さんもいるようになってきました。手応えもあって良かったですし、今後も続けていきたいと思っています。でもそれが真面目かと言われると……。自分が良かったから、他人にも伝えたいというのがスタートなので。熟成も絶対の正解はなくて、魚によって一匹一匹表情が違うんです。だから、自分がどれだけ魚と向き合えるかが重要だと思っています。
ーーお二人の実感として、田舎寿司やさんま寿司を食べる機会は減ってきていますか?
佑吉 減っていると思います。昔はおばあちゃんがそれぞれの家庭で作っていたものなんですが、いまはそもそもつくり手がいないっていうところと、ファーストフードもしかりですけど、寿司を食べるという以外の選択肢が増えたのもありますね。昔は、冠婚葬祭なら田舎寿司という感じだったので。
陽互 私が小さい頃は、運動会に行く時は絶対に寿司を持っていく時代でしたね。
佑吉 「やっぱり運動会といえば徐福さんのお寿司でしたよ」っていうお客さんが、たまーにいらっしゃいますね。うちの父親よりもちょっと年配くらいの方とか。
陽互 長いこと商売をしていこうと思ったら、こういう変化を乗り越えていかなければいかんわけよね。
ーー現在の時点で、乗り越えていくための考えはありますか?
陽互 いろいろあるんですけど、商売を続けるためには「販売チャンネルを増やす」のが絶対に必要なこと。私にとってラッキーだったのは、駅前に店を出したことでしたね。でも今は、SNSで発信すればいける気もする。わざわざ探して行く、そういうお店ってあるじゃないですか。そこを目指すのもありかな、と。
ーーお二人にとってお寿司とは?
陽互 僕にとっては生きていく術ですね。これしか生きていく術はなかったので。経済的にも、人生としても、お寿司、徐福寿司を通して育まれたと思っています。
佑吉 家族団欒のツールです。みんなでわいわい囲んで、食べている風景。徐福寿司にとっての寿司はというのも混ざっているかもしれないけれど、僕にとってはそういうイメージが浮かびますね。もちろん、握りたてがおいしいので、お店で食べてもらいたいというのもあるんですけど。
陽互 徐福のことをお持ち帰り専門店やと思っている人が、地元にもまだいるんよね。佑吉くんが来る前からそれが悔しくて。やっぱり寿司はにぎりたてがおいしいので、それを食べさせたいというアツい想いがあった。それでバルイベントを仕掛けたこともありました。最近は、熟成魚が食べたくてお店に来てくれるお客さんも増えたと思う。あと、インバウンドの人たちは徐福のイメージなしで食べていってくれるから、おもしろいですね。
陽互 あとやっぱり、あまり敷居の高い店にはしたくないんですよね。「まさかこんなところで、こんな味に巡り合うとは思わなかった!」みたいなお店でありたい。軽い感じで入ってきてもらって、入って食べたら「これ、おいしいんとちゃう?」みたいな。そんな感じの寿司屋になりたいです。
余談
ーー今回取材に入らせていただいて、とにかく従業員の皆さんの仲の良さが印象的でした。すごく家族感があるというか。
陽互 それは良く言われますね。
佑吉 みんな長年働いてくれているっていうのもありますし。僕の祖母の影響もあるかな、と。団らんを大事にする人だったので、そういう影響も多分にあるんやろなと思いますね。
陽互 私の母が、なかなか人に頼むのが上手だったんですね。旦那が体が弱かったから、人に頼らなくちゃいけない身の上だったからだと思います。言うことはきついんだけど、ちゃんと機嫌よくさせるというか。アメとムチみたいなそういう人でした。
佑吉 仕事場だけじゃなく兄弟とか親戚づきあいも、祖母の影響があって、温かい家族像が昔から自分の中で当たり前でした。そこが、自分の「家族団欒」としてのお寿司というイメージにつながるんだろうなと思います。無理しているとかじゃなくて、自然とそういう雰囲気になっている感じです。
陽互 そういえばさんま寿司の仕込みで、いろんなスタッフ来たんですけど、昔のことを思い出したっていう人がいてね。昔は、家庭ですごい数のサンマ寿司を仕込むんです。それで姑さんと二人で腹骨とったことを思い出した、泣けてきたって。そういう食文化で、正月の思い出の中に残る作業だったんですよね……。
取材・執筆:池山草馬